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◆不定期日記ログ◆

CATEGORY ゲーム

■2011-08-22
ノトーリアス
 ふと『ジョジョ』の5部ゲーがやりたくなって、中古で買ってきた。
 これもう10年前のゲームなのかよ、信じられない。
 大学の部室で無駄無駄したのが最後だから、もう感覚をずいぶん忘れている。

 このゲームはたしか、ただ相手を倒すだけでも進めるけれど、戦闘中に「原作準拠っぽい行動」を取ることでスコアが加算されて隠し要素が解禁される、というシステムだった。
 ただしその条件は、原作をしっかり把握している人でも気づけないものが多く、攻略情報を見ながら一つずつ解禁していったような記憶がある。
 さて、じゃあさっそくネアポリスでブチャラティを無駄無駄するところから……


 ……?
 なんだ……?ステージが多いな……
 まるでクリア後のセーブデータみたいに……

 (バァ――――z____ン)

 な、なんなんだこれは……!!
 スタンド攻撃なのか!?全ての隠し要素が解禁されているッ!
 だ……誰がやったんだッ!?いつ!こんな事を誰がやったのだ!!
 (10年前の俺です)


 という流れで猛烈にヤル気がなくなってしまった。
 とりあえずディアボロをアバッキオ本体で蹴り殺して鬱憤をはらします。
 
■2011-08-16
文化系音ゲー
 きっかけはただの「感謝とおわびのパッケージ」だった。
 タダで貰えるというので貰ってきただけの『パタポン2』を、なんだかんだで1ヶ月間遊んでしまった。

 僕はモンハンをやったことがないけれど、このゲームはモンハン的だと思う。
 狩りをして、素材を手に入れて、軍を強化して、ボスを倒す。
 基本的にはそれの繰り返しだ。

 特徴的なのは、前進、攻撃、防御などのコマンドが全てリズムアクションになっている点で、たとえば最初の4拍子で前進コマンド(□□□○)を入れて、次の4拍子でパタポンが動くのを見守る、などの繰り返しで戦闘が行われる。コマンド入力がリアルタイムなターン制バトルと言ってもいいし、譜面のないリズムゲーと言ってもいい。

 ゲームの楽しさを語るとき、僕はよく「体育会系」「文化系」の区別をする。おおざっぱに言うと、アクションなど「プレイヤー本人の経験値」が要求されるゲームが体育会系で、RPGなど「ゲーム内の経験値」を高める必要があるのが文化系である。最近ではアクションでも育成要素が盛り込まれることが多く、両者の境界はあいまいになってきている。

 で、このゲームはかなり文化系寄りにデザインされていると思う。立ちはだかるボスの難易度はかなり高めで、腕を磨いて低レベルで倒そうとすると非常に不毛な戦いを強いられる。音ゲーでたとえるなら「魁!ミッドナイト」のノーマル譜面を10連続でプレイして全部エクセを出すことを要求されるような戦いだ。
 一方、素材を集めるのには時間がかかるものの、装備を強化して力押ししたほうが手応えが感じられて良い。狙って強化すれば、まあエクセとは言わずフルコン程度の戦いでも十分に勝てるようになっているし、見返りが目に見えて大きいので素材集めも楽しい。

 普通、リズムゲーはプレイヤーの技術が全てのガチ体育会系ジャンルである。
 『パタポン』は、リズムゲーにしては極めて珍しい、かなり文化系なゲームと言える。
 RPGである『MOTHER3』よりも文化系だった。


 思いのほか飽きずに最後までプレイしてしまったので、ダウンロードだけして放置していた『勇なまor2』のほうをすっかり忘れていた。
 こちらはガチ体育会系のゲームである。
 そろそろパタポンの神をやめて破壊神を始めるか。
 
■2011-06-13
10周年
 当サイトは10周年を迎えました。
 おかしい、早いぞ、早すぎる。

 先日、幼稚園にあがる前の子どもを観察していて思ったんだけど、やはり人間の感覚ってやつはどんどん鈍く、スローモーションになっていってるようだ。
 子どもの興味の移り変わり、感情の切り替え、多動性を見るに、あいつら大人の数倍の速度で過ごしている。我々にとっての15分はあいつらにとっては2~3時間くらいに相当するかもしれない。
 1日に使える時間は24時間しかないのだから、こんなスローな感覚では、うかうかしているとあっという間に1年たってしまうのも仕方ないと思える。今、2011年がスデに折り返していることに気付いてすごい絶望した。

 まあ、そんなかんじでうかうかしていたんだけれど、入籍から1年、結婚式から3ヶ月が経過しようという今になって、ようやく新婚旅行に行けそうな感じになってきた。
 主な目的地はローマ・フィレンツェ・ヴェネツィアの予定。
 とりあえずアサシンクリード2で予習をしているんだけど、フリーランが面白すぎて、教会を見るとよじ登りたくなる危険な思想が身についてしまった。
 これが流入現象ってやつか。
 
■2011-05-25
Reach Out To The Truth
 2011年になったらクリアする、と思って余裕ぶっこいてたペルソナ4
 (ペルソナ4の舞台は2011年だ)
 ところが急にアニメ化の話が浮上し、にわかに盛り上がりを見せてきたため、いつまでも放置しておくわけにはいかなくなった。

 というわけでPS2を起動して、ペルソナ4をクリアしました。
 民衆は真実なんて求めていない。
 都合のいいデマに流されてたほうが楽だから。
 ……とラスボスが言ってたけど、ホント2011年の世相を予測してきたな。

 主人公の名は吉良吉 影太郎(きらよし かげたろう)。最終的に9人もの手の綺麗な女性と恋人関係になったクールガイだ。
 そんな吉良吉影太郎の恋人の中に、高校生アイドルの久慈川りせがいる。
 彼女はよく実家の豆腐屋の前に立ってるんだけど、その立ち姿が常に足をコンパスみたいに開いた安定感のある姿勢なのが気になっていた。
 これはひょっとして豆腐屋小町のヤンおばさん(通称コンパス)という魯迅ネタだったんだろうか?
 もしそうだとしたら老後がすごい不安だ。
 
■2011-04-27
ボードゲーム熱
 カタンを、買ったんだ……。
Die Siedler von Catan
 「カタンの開拓者(たち)」はドイツ生まれのボードゲーム。
 いきなりパッケージの解説が徹底的に翻訳口調で感動した。

 15年前から、世界中で何百万人もの愛好家が、このボードゲームで取引や建設を楽しんできました。その数は今もなお増え続けています!
 カタン…それはみなさんが発見した無人島に付けられた名前です。みなさんが最初の住人です。開拓地を作り街道を伸ばします。(中略)カタンの支配者になれるのは1人だけです。誰が成功を収められるでしょうか?
 これはみなさんへの挑戦状です。
 一度遊んだら、もうやめられません!

(パッケージ裏より)
 原文は知らないがなんて教科書的な翻訳なんだ……!

 試しにタイマン勝負でやってみたところ、互いに土が全然出ない配置になってしまい、延々と木ばかり伐採しては盗賊に奪われる不毛な序盤となった。
 ランダムマップの醍醐味ではあるが、2人プレイだと影響がハンパない。布教してプレイヤーを増やしていきたい所存である。
 
■2011-02-15
RPGを途中で投げ出す症候群
 「RPGを途中で投げ出す症候群」の人の気持ちがわかった気がする。
 つまり、具体的に言うと、FF10をほぼ投げ出した。


 FF10は終盤までほぼ一本道で進む。
 そして、ラストダンジョンの出現とともに、飛空挺で世界中に自由に移動できるようになる。
 この「イベントはあとラストダンジョンだけだが世界中にサブイベントがある」という状態に、なぜかうんざりして意欲が下がったのだ。

 よく考えるとおかしい。
 FF5だって、次元の狭間が出現してから、封印武器を探すサブイベントがある。
 FF6だって、仲間を捜すのはいちおうサブイベントだ。
 ダリルの飛空挺を手に入れたときはテンションが上がったのに、FF10ではテンションが下がってしまうのは矛盾している。


 いったいこの差はなんなのか。
 これはシナリオの没頭度に起因するのではないか、と自己評価してみた。

 FF10では基本的に、マップに表示される矢印を追っていけば次のイベントが起きるので、迷うことはまず無い。
 おそらく、プレイヤーの意識をストーリー展開から離さないための工夫であろう(だとするとバトルが一番邪魔だが)。
 実際、徐々に世界の謎が明かされていくのは面白かった。
 要はシナリオのおもしろさを燃料にして進んでいたわけだ。

 それが、いよいよ最後のイベントとなったところで、いったん戻ってサブイベントを消化してレベルを上げてくれ、と言われたら、そりゃあモチベーションも下がる。
 これはふしぎズボン(ティーダ)の物語だ。俺の物語じゃあない。なんでふしぎズボン(ティーダ)の努力パートを俺が担わねばならんのか。さらにいえば、続編の存在によって俺はふしぎズボン(ティーダ)の物語がどう終わるのか、大まかに知ってしまっている。そしてそれは動かしようのない結末だ。ストーリーのおもしろさを燃料にして進むRPGは、ストーリーの終わりが見えたら燃料がなくなる、というのが要因の一つと考えていいだろう。
 すまん、ふしぎズボン(ティーダ)……。
 いつか思い出したらクリアしてやるからな。
 
■2011-02-12
バイオハザード5
 PS3を買ったものの、ゲームのスロットがすっからかん。
 別にトルネが大活躍してるのでそのままでもいいんだが、
 やはりもったいないので『バイオハザード5』を買ってきた。

 バイオ4でホラーからアクションに舵を切ったバイオだが、今回はさらにアクション性を高めた正当進化という印象。
 武器の持ち替えすらリアルタイムなので(ショートカットキーあり)、パニックになったときの立て直しがすごく困難だ。

 細かい章立てになっていて、いつでもステータスとアイテムを持ち越したままやりなおせる、という点は若干ゆとり仕様といえるけど、時間さえかければいくらでも弾薬が手に入るのは密かに助かる。
 タイムアタックも章ごと挑めるので敷居が低くてよい。

 なにより、PS3のパワーで、2人同時プレイが可能になったのがすばらしい。
 画面分割になるのでややもったいないが、このクオリティのグラフィックを2画面処理できるなんていい時代になったものだ。
 これにより「でかい奴がいるから一気に扉まで走り抜けるよ!」といって突っ込んだものの、マップを把握してなかったばっかりに互いに逆方向に走り出して死亡、みたいな愉快なプレイが可能になった。

 で、怖いかというと、怖くない。バイオ4より怖くないと言える。
 怖くはないが、今回も寄生虫系なので気持ち悪さは納得の17禁。
 この表現力でバイオ0とかリメイクしたらすげえ怖いんだろうな。


 寄生虫のことでクリスが「レオン・レポートにある症状だ」とか言っていた。  
 レオン・レポート!
 なんかレオンが真面目に文書を作るところが想像できない。
 おそらくバイオ4の戦いのあと、誰かに頼んで口述筆記したのだろう。
 「デートに誘う相手を間違えたことを思い知らせてやるか」とか、「サンドイッチのハムになるのはごめんだ」とか、そういうレオン様全開の文体だったため、組織内では「レオンレポート(笑)」みたいな扱いを受けていたのに違いない。
 さすがレオン様やで。
 
■2011-01-27
つかいきろう△◯☓☐
 思い立ってから2週間くらい悩んでたけど、PS3を買ってきました。
ファファファ
意外とでかいな!
 目的は地デジ番組の録画。すなわちトルネです。
 3万ちょいでブウレィ再生環境まで実装できるなんてステキ。
 余ってるHDMI端子もこれでようやく活躍できます。

 さてこのトルネ、録画の機能は最低限ですが、
 インターネットを利用した機能がいろいろついてます。
 特に、Twitter上の#nhkのハッシュタグを表示したりできる機能は驚愕しました。
 これラピュタとか放送してるときはどうなるんだ……!


 えっと、そんなわけで、PS3がいま手元にあるんですが、
 これ、なんか録画しながらゲームができるらしいんですよ。
 ……何もやる予定ないんですが、どーしたらいいんですかね。
 
■2011-01-13
サガ3時空の覇者
 「サガ3」のリメイク版が発売されて、
 店頭でトレーラームービーを観てた、というか聴いてたんだけど、
 音楽が当然のようにラスボス戦だった。

  シリューは電撃ムチでソールをこうげき
  ソール「もっと!もっとダメージを与えるのだ!」

  シリューは電撃ムチでソールをこうげき
  ソール「もっと!もっとだー!グヘッ……いかん、意識が……」

 みたいな風景が脳内によみがえってきた。
 ちょっ……やめてよネタバレ!

 しかし公式サイトで聴ける音楽のアレンジが予想以上に良い。
 笹井さんの楽曲は「ルドラ」みたいにハードになってるし、かなりロックよりにイトケンの手が入っていて、GFDMのイトケン曲みたいだ。
 03とか21のルドラっぽさがたまらん。本当はこういう曲だったんだなあ!
 そして22のドラムがどえらいことになってる。もはや手が付けられない。

 ……じゃ、CDだけでも買ってくるか!!(ゲームはやるヒマありません)
 
■2010-11-03
オーガ
 9世紀ごろ行われた、マジャール人によるヨーロッパ侵攻は、当時のヨーロッパ人に大きな恐怖を与えたらしい。
 彼らはマジャール人を「オノグル」という部族連盟の名で呼んだ。
 これが恐ろしいイメージと共に広まり、なまって「オグル」になり、「オーガ(鬼)」の語源となった、という説がある。
 一方、「マジャール」の語源は「ムガール」にあるらしく、それはペルシアの言葉で「モンゴル」を意味する。

 つまり「オーガ」は「モンゴル」なのだ。

 となると『伝説のオウガバトル』は「伝説の蒙古襲来」。
 鎌倉時代の元寇のことを指すと見て間違いない。
 また『タクティクスオウガ』は「蒙古の戦法」。
 すなわち「火薬兵器や集団戦法を使用し、一騎打ち主体の日本の武士を苦しめた」である。


 こんな俺でも、PSPのタクティクスオウガ、買っていいんだろうか……
 
■2010-10-29
サイレントヒル
 映画『サイレントヒル』を観た。
 静岡に住む者としては外せない映画だ。


 のっけから、映画の雰囲気がゲームそのものでびっくりした。
 静岡在住でありながらゲームは「3」しかちゃんとプレイしてないんだが、原作の空気感の再現度がスゴイ。
 『バイオハザード』は、映画化にあたってミラジョヴォビッチ無双が前面に押し出されたが、こちらは丁寧に原作の雰囲気をなぞっている。

 ゲームの『サイレントヒル』は、『バイオ』と比較して、オカルト要素を強く押し出した点に特徴がある。
 登場する化け物には物理的・科学的な裏付けがなく、登場人物のトラウマが具現化したもの、みたいなことにされている。
 したがって「なんでもあり」であり、理不尽な視覚的いやがらせをこれでもかというほど繰り出すことができる。
 ウィルスが感染してゾンビに、というとパニック映画寄りだが、この設定はホラー映画にはうってつけだろう。

 視覚的のみならず、聴覚、すなわち音楽の雰囲気もそれっぽい。
 というかこれはAKIRA YAMAOKAのしわざなので仕方ない。
 使っている音源レベルでサイレントヒルである。
 映画までプロデュースするとは恐るべしAKIRA YAMAOKA!
 「流星ハニーの人」というイメージはそろそろ捨て去らねばなるまい。


 裏世界のエフェクトとか、救いのないシナリオとか、原作の空気感の再現度がハンパない映画であった。
 サイレントヒルの再現度が高いのか、再現度ヒルのサイレントが高いのかわからなくなるくらいの名作。 
 
■2010-10-14
ゼノギアスに関する長文
 アーカイブスで買ってきたゼノギアスをクリア。
 「裏FF7」とも呼ばれ、いまだに根強いファンをもつゲームである。
 なおモッコス様はゼノサーガなので全然別物。


 シナリオは緻密で複雑。
 発売が1998年2月なので、エヴァの影響を直撃で喰らっており、ロボットアニメの文法に思想哲学を織り込んだ切り口で、牧歌的な村から人類全体を巻き込む戦いまでを描く。
 とにかく設定が緻密なので、全編通して説明的セリフが多く、うかうかしてると最初のほうの伏線を忘れてしまうほどだ。
 正直、RPGにこれだけの設定をのっけられたのは驚嘆のほかない。

 JRPGの主成分であるキャラクターも、ベタすぎないバランスで揃っている。
 それぞれのキャラの設定・描写もこだわりが感じられ、少なくとも矢吹健太郎先生に「ナノマシンとは幼女を変形させるもの」という知識を植え付ける程度にはセンセーショナルだったと言えるだろう。
 それぞれの仲間との出会いから、パーティに正式加入するまでの話は、ワンピースさながらのていねいさでメインシナリオを脱線して描かれる。


 ただ、そんなシナリオとキャラが、システムとかみ合ってるかというと疑問が多い。
 主人公たちが乗るマシン(ギア)は、派手な空中戦を繰り広げるシーンがあるくせに、普段は貧弱なジャンプしかできず、アクションの苦手なプレイヤーを困らせる。
 飛べるんだろ!?飛べよ!
 また、おそらくジャイアントロボが大好きな人が設定したと思われるキャラがおり、彼女だけコクピットでなくギアの頭に乗って出撃するのだが、それがシナリオに関係するでもなく、何かパラメータに影響するわけでもなく、むしろそのまま平然と水中戦や高度空中戦をやってしまう現象が起きている。完全にムダ設定といえるだろう。


 そう、ここまでひいき目に書いてきたけれど、
 ゼノギアスはシナリオに対してシステム面がまったくお粗末なのだ。

 ここからの長文は、主にゼノギアスをDisる流れになる。
 だが、このゲームの問題点は、そのまま今のJRPGにも引きずられているかもしれない。「RPGとは何か」に関わる問いなので、丁寧に、誠実にDisっていきたい。


■パラメータの価値とそのバランス
 最初に一番致命的に残念だった点を述べる。

 ゼノギアスの戦闘は「すばやさ」に応じた疑似アクティブタイムバトル制をとっている。(コマンド入力待ちのとき停止するのでリアルタイムではない)
 その「すばやさ」はキャラごとに固定されていて、基本的には変化しない。
 フェイが11、シタンが13、リコやマリアは7固定。
 たった6の差だけど、リコさんが1回動く間に、シタン先生はなんと3回動く。

 そうなると当然シタン先生の能力はリコさんの1/3であるべきだが、攻撃力はリコさん44に対してシタン先生41。
 「たかだかすばやさ6点」とでも思ったのか!?
 したがってすばやさが10以下のキャラはほぼ存在価値が無い。このカースト制度により、リコさんなどは公式いらない子認定されている。無責任な!

 肉弾戦メンバーはシタン13・エメラダ12・フェイ11でほぼ確定。
 ボス戦では命中支援のためにバルトを採用する手があったり、ギア戦になると主砲として魔改造したビリーさんを投入したりするが、8人もメンバーがいるのに、この選択肢の狭さは勿体ないことである。

 なお「魔改造したビリーさん」とは、他のパラメータを全部捨てて、魔力増幅アクセサリだけを装備し、魔力増幅装置だけを装備したギアに乗ることで、あっさり9999ダメージを連発できるようになったビリーさんのこと。
 こういう工夫の余地があるのは面白いが、やはり極端なバランスという印象は拭えない。


■ゼノギアスの戦闘
 戦闘をいかに楽しくするか、というのはRPGの要の1つだと思うが、ゼノギアスは、「攻撃」コマンドが弱・中・強のコンボになるのが特徴だ。基本的には強攻撃だけぶっぱなすのが一番効率がいいのだが、弱・中・強の組み合わせで覚える必殺技が、最終的に火力の要になる。

 したがって、ザコ戦では「弱中強」「弱弱弱強」などで技を覚えるポイントを稼ぎ、ボス戦ではその時点で使える一番強い技を連発して(消費は無い)戦う。

 問題はそのボス戦のありかたなのだ。
 だいたいいつも「HPが減ったら回復魔法、そうでないときは攻撃」の繰り返し。
 1人のときは仕方あるまい。だが3人になっても変わらないので困る。
 その上、MP回復の手段が潤沢なので、とにかく負ける要素が無い。
 しかもどうやら「強敵=HPが高い」と誤解しているらしく、長期戦をすることが強さの指標だと言わんばかりに、無駄にしぶとい奴が多い。素人がRPGツクールで陥りがちな罠にきっちりハマっているではないか!

 終盤になるとようやく技巧派の敵が現れ始める。「○ターン以内に倒すとレアアイテムを落とすボス」などは頭を使った。
 ……最終的に魔改造ビリーさんで撃ち殺すことで解決したが。


■こんな装備で大丈夫か?
 わりとどのRPGでもつまらないなと思うのが、新しい街に到達して新しいラインナップの装備が売られていたときに、
 「一番いいのを頼む」
 以外の選択肢がなく、しかもだいたいそれが所持金の範囲に収まってしまうことだ。

 ゼノギアスの場合、やはりキャラの装備もギアのチューンも、
 「一番いいのを頼む」
 で済んでしまうため、お金を貯めるとか使うとか、そういう感覚が無い。
 終盤になると、魔改造ビリーさんのような工夫の余地が出てくるが、それ以外は、どうしても装備の刷新は単純作業になりがちだ。

 一番いいのを買うと明らかに軍資金不足になるよう設定してあって、戦闘のバランス自体は二番目の装備を基準に取られてるようにすれば、詰まった人が装備を買って強引に突破する、という選択ができるな……と考えた。

 JRPGって「レベル上げさえすれば誰でもクリアできるもの」と認識されてるけど、そこに「お金稼ぎをすれば」という要素を加えてもいいんじゃないかな。……まあどっちみち、それだけじゃPAR全盛になるだけだと思うけど。


■RPGとダンジョン
 「ゲーム」の定義から外れつつあるJRPGの中で、まだゲームらしい要素の1つに、「ダンジョンを進み、消耗していく中で、どのタイミングで補給に戻るか」という判断をせまられる、というものがあると思う。

 いまや安価なテントがあり、大抵のダンジョンにはセーブポイントがあり、ボスの前にもご丁寧に回復ゾーンがあるので、この要素は失われてしまった。
 ダンジョンが探索するものではなく、通過する一本道になってしまったのだから仕方ない。
 むろんゼノギアスもこのタイプのダンジョンがほとんどだ。

 だが「キスレブ下水道」だけは違った。
 MOTHER2のモグラ穴のように、広いダンジョンのあちこちでフラグをたてつつ、「いつ戻り、いつボスに挑むか」を常に判断する必要のあるダンジョンだった。
 この一番ゲームらしいダンジョンが、「リコさんの顔見せ」というシナリオ上ぜんぜん重要でないイベントであったのは皮肉なことである。


■固有名詞のバラバラ
 ゼノギアスには序盤から終盤まで次々と専門用語が出現する。
 ソラリスのアバルたちがゲブラーを使ってラムズを支配し、産まれたウェルスは『教会』のエトーンが処理してたりして、パルスのファルシのルシは危うくコクーンからパージされるところだったが、その辺はとにかくひたすら説明をしてくれるので何とかなった。

 どうでもいいけどストーン司教に憧れてエトーンになるのはおかしいだろ。
 そこはストーンになれよビリー!

 ……専門用語が多いのは別にいい。
 いわば固有名詞は全て専門用語であり、それは世界観の一部だ。

 気になって仕方ないのはその統一性である。
 主人公フェイ(中国語系)の乗るマシンがヴェルトール(ドイツ語系)なのは、話の流れを考えればまあいい。
 だがユーゲント(ドイツ語)出身のエレハイム(ドイツ語)さんの専用機がなぜヴィエルジェ(フランス語)なのかは説明が無い。
 シタン(日本)先生がヘイムダル(北欧)に乗ったのは偶然だがなぜか専用ギアもフェンリル(北欧)だった。
 その他、リカルド(スペイン)が乗るのはシューティア(ドイツ)、ビリー(英語)が乗るのはレンマーツォ(イタリアと見せかけて中国)……と来ると、もはや意図的にバラしてるとしか思えない。

 多国籍感・無国籍感を出す狙いなのかもしれない。
 それでもせめて、バルトのまわり(北欧しばり)みたいに、一人ひとりのまわりは統一感を持って固めてほしかった。


■DISC2という発明
 ヒントを得てない状態でパスワード解除装置を触ると、フェイが「なんだこりゃ?全然わかんないぜ」みたいなセリフを言うシーンがある。

 全然わかんないのはプレイヤーであり、わかんないから先に進めないのである。
 フェイに言われなくてもそんなことはわかってるのである。

 つまり、このイベントは、「俺がフェイを操作して、謎を解く」のではなく、「謎を解くフェイを、俺が操作する」イベントなのだ。
 JRPG全般に漂う傍観主義をよく表したセリフだと思った。

 ところがDISC2に入り、このゲームは驚くべき展開に入る。
 キャラクターのモノローグでシナリオを進める、という、有名な「サウンドノベル化」である。

「○○しようとした俺たちの前に××が立ちはだかった…」
 ↓
ボス戦
 ↓
「××は倒れた。
 俺たちは△△を守るため、□□へ向かった…」
 ↓
買い物+ダンジョン
 ↓
ボス戦
 ↓
「△△を手に入れた俺たちを待っていたのは☆☆だった…」
 ↓
合体変形ムービー
 ↓
ボス戦

 Wow!!テンポ速い!
 ワールドマップなんて要らんかったんや!

 制作日程の都合とも容量の関係ともいわれたこのサウンドノベル化だが、俺はむしろ、すごく納得のいく流れだった。
 実にゼノギアスになじむシステムだと感じた。

 俺は、RPGのシナリオは
(1)「敵の家のボスを倒してくれ!」
(2) ボス撃破
(3)「ありがとう、北に次の村があるぞ」
 のエンドレスワルツだと認識している。

 たとえばMOTHER2の場合は「街の不良を倒してくれ」→「ありがとう、交通封鎖は解いておこう」→「さらわれた女の子を助けてくれ」→「ありがとう、ライブハウスのバンドに会いたまえ」という風に事が進む。

 ところがゼノギアスは違う。
 村→森→砂漠の街まではいいとして、「先生を追って砂漠へ」→「謎の男に遭遇(ボス戦)」→「さわぎを聞きつけた兵士に捕まる」→「連行中にさらに賊に襲われる(ボス戦)」→「落とし穴に落ちて鍾乳洞へ」とのっけから強制移動・一方通行の連続である。
 自分の意志で戻る事はできないし、戻れてもたいして意味はない。

 つまり、いきなり敵の家に放り込まれるのだ。
 それが済むとまた次の敵の家に放り込まれるのだ。

 DISC1の段階から、ゼノギアスはすでにサウンドノベルだった。
 「俺がフェイを操作して、謎を解く」のではなく、「謎を解くフェイを、俺が操作する」ゲームなら、そのほうが都合が良い。
 パーティ編成の自由度も低く、装備更新も作業的であるなら、これで足りる。
 どうせ一本道のダンジョンなら、別に操作しなくていいじゃあないか。
 サウンドノベル化はごく自然なことで、もっとはやくこれを実施していれば序盤のペースも加速できただろうに、と思った。

 あとは序盤の伏線の量がすごいので、しおりと巻き戻しが搭載されるとありがたい。
 これで新ジャンル「ノベライズRPG」の完成である。

 なお、シナリオがサウンドノベル状態になっても、巨大ロボ登場イベントや敵のロボ合体シーンはムービー付きで表現するあたり、スタッフが「何をつくりたかったのか」が凄い伝わってきて胸熱になる。
 惜しむらくは、スタッフたちがRPGをつくるノウハウしか持たなかったことだ。


■3行でまとめろよ
 ゼノギアスは「ロボットもの」の名作だが、ゲームとしては完成しなかった。
 当時は「RPGで何でも表現できるようになった」と錯覚していたが、
 しょせんRPGではゲーム以外のモノは作れないのだ。
 
■2010-09-24
サイレントヒル
 地下道を歩いていたら、扉の向こうからギョリギョリギョリと『サイレントヒル』のノイズみたいな音がした。
 ここは静岡なので笑い事ではない。
 次にここを通るときには鉄パイプを用意しておかねばなるまい。
 
■2010-07-30
なぜ地属性は衰退したか
 古今東西、いろいろなファンタジーに属性が登場するが、その中でも飛び抜けて不人気なのが地属性である。
 いったいこれはどうしたことだ。

 地属性だけに地味だというのか!
 地面を割るとか十分ハデではないか!?
 母なる大地なのになぜ男臭いイメージしかないのか!?
 空中の敵に効かないとか誰が言い出したんだ!?
 雷が海中の敵に効く世界だぞ!がんばれよ地属性!


 原始、4属性といえばパラケルススの言う「火・水・土・空気」の4元素のことであった。
 ここにはしっかりと地属性が刻まれている。
 だが「ペルソナ」や「ルドラ」を見よ!
 4属性が「炎・氷・風・雷」になってしまっているじゃあないか!
 3属性を考えると真っ先に「炎・氷・雷」が出てくる。
 これはもう間違いなくFFの仕業であろう。

 いったいなぜここに雷属性が割り込んできたのか。 
 そもそも雷は炎や冷気と並べておくべきではない、もっと優位の属性ではないか?
 ギリシャ神話のゼウス、北欧神話のトールなど、神話でも雷を操る神は主神ないしはかなり重要な位置にいる。
 日本にも、雷を操る神といえば「天神」菅原道真がいる。八幡・伊勢に続く神社数を誇るゴッドである。
 ドラクエ3のように、雷属性は選ばれた勇者のみが扱えるものであるべきなのだ。

 FFでも海外版の「ミスティッククエスト」では、基本の黒魔法がクエイク・ブリザド・ファイア・エアロの4種となっており、サンダーはより上位の魔法に位置づけられている。
 クリスタルが火水風土なのだから当然といえば当然といえよう。

 FFが気軽に「サンダー」とか言い出さなければ、雷の優位性は保たれ、したがって地属性が競合の末はじき出されることもなかったのである。


 しかしなぜ土がはじき出されなければならなかったのか。
 「火⇔水」「土⇔風」の対立はわかりやすく、雷がこれを崩すスキはないように思える。

 風と雷が肩を並べた例を考えてみると、まっさきに「風神・雷神」が頭に浮かぶ。
 雷神は前述の天神とつながるが、風神はどんな神なのかよくわからない。二つ合わせて天候を示している、とも言えるが、それでも並列ではあるまい。
 風と雷を並べてしまったのは「風神雷神図屏風」の俵屋宗達のせいなのかもしれない。
 そしてそのせいで、4属性から地属性がはじき出されたのだ。
 
 つまりFFと俵屋宗達のせいだったんだよ!
 なんだってー!


■おまけ

 ここまで「雷が地属性のポジションを奪った」という例を扱ってきた。
 だが実際は、パラケルススの4属性や中国の五行思想(木火土金水)を尊重して、地属性を残しつつ、この中に雷を入れこもうという試みも結構みうけられる。

 では雷はどの属性に入っているのか?

 「聖剣伝説2」では、風の精霊ジンがサンダーボルトを使う。
 「ロマサガ3」では水の術(玄武術)リストの中にサンダークラップが含まれている。
 「天上天下」では、土の氣を操る奴が、地電流と称して電撃技を使っていた。

 稲妻は、気体中の分子が電子をはじき出され、プラズマ化することで光っている。
 プラズマは固体・液体・気体とのいずれとも異なる第4の状態であり、これをパラケルススの4元素と対応させようと言い出したのはクルックスという人だった。
 理科の実験で使ったクルックス管を編み出した人である。
 いわく、土=固体、水=液体、空気=気体、そして火がプラズマである。

 実際、ものが燃えるときに出ている炎もアレはプラズマなので、化学的に分類すれば雷は火属性であってしかるべきであろう。

■2017-10-19追記

 そもそもなんでFF1ではファイアとサンダーがレベル1で、ブリザドがレベル2なんだよ!普通サンダーを上位にしないか!? という疑問をぶら下げていたところ、「ウィザードリィが元ネタでは」という情報をいただいた。過去日記を放流するとこういうことが起きるので大変ありがたい。
 確かにウィザードリィにはハリト(火の玉)、モリト(電撃)があり、それより上位の魔法としてダルト(冷気)がある。属性相性はないのでただのフレーバーだが、さらっとサンダーがファイアと肩を並べたのはここに源流があったとみて間違いなかろう。
 ただ、電気が利用されていないファンタジー世界になぜ電撃という概念があるのか、落雷レベルになるとそれはもう魔法ではなく神の所業ではないか、という疑問はそのまま残る。ここで「ゲームのせつめいしょ」を確認してみると、モリトは「火花を呼び起こす」としか書いてない。おそらく原語ではsparkと書かれていたと推測するが、これがどこかで電撃と解釈され、それが雷魔法が誕生した理由ではないか、というのを現段階の結論としておこう。
 
■2010-05-25
かもしびと
 さまようよろい、メタルスライム、ベビーサタン、くさったしたい。
 がいこつけんし、アニマルゾンビ、ミイラおとこ、くさったしたい。

 「くさったしたい」というネーミングは、ひどすぎないか?

 あまりにもそのまますぎるじゃないか。
 「さまようよろい」なんかもそのままだが、これは鎧が彷徨ってる部分にすでに驚きがあるから納得できる。
 「うごくせきぞう」も、石像が動くからすごいのだ。
 そこにきて「くさったしたい」はどうだ。普通なら「動いている」「生きている」ことに驚くはずではないか。なのに「腐る」という死体にとってどうにもできない部分を抽出したこのネーミング。もはやコレ悪口だろ。

 いくら魔物とはいえ、元は誰かの遺体だぞ。
 もうちょっとこう、敬意というか、畏敬の念を払えよ。
 妻がいたかもしれぬ、子がいたかもしれぬスミスさんに対して「くさったしたい」呼ばわりは酷いだろ。
 死人にムチ打つような真似はよすんだ!グリンガム的な意味で!


 ただドラゴンクエストモンスターズシリーズの交配システムなんかを見ると、くさったしたいは誰かの屍ではなく「そういう魔物」として扱われているようだ。
 それはそれで、「犬の睾丸に似てるからイヌノフグリと名付けよう」みたいなデリカシーの無さを感じる。
 腐ってるのが常体で有益なら、それは「腐敗」ではなく「はっ酵」と呼ぶべきだ。
 はっ酵した死人……

 よろしい。ではいまから「くさったしたい」は「醸死人かもしびと」じゃ!
 さあ、ゆくがよい。
 
■2010-04-26
勇者のくせに
 PSP Goを買った時についてきた「勇者のくせになまいきだ。」が面白かったので、最新作をダウンロードしてきて先日クリアをなしとげた。

 簡単にいうとダンジョンを掘って魔物を出して、やってきた勇者を倒していくリアルタイムストラテジー。

 
『大地讃頌』

はっきり言うと、この唄のテーマはありふれたテーマ──『大地を褒めること』です


母なる『大地』のふところにッ!我等人の子の『喜び』はあるッ!
『大地』を愛せよッ!『愛=理解』!!
『大地』に生きる人の子等ッ(人の子等ッ)!
その立つTSUTYYYYYYYYYYYYY!!に『感謝』せよォーーーーッ!

(朗読)「愛して『土』を手に入れることは最上である
愛してその『土』を失うことはその次によい」

母なる『大地』を‥‥静かな『大地』を‥‥!
『大地』を褒めよッ!讃えよッ!『土』をッ!僕は敬意を表するッ!
『恩寵』の豊かな‥‥豊かな『大地』ッ!
大地大地大地大地大地大地大地大地大地大地大地大地大地大地大地大地大地!!
『讃え』よッ!『讃え』よ、『土』をォォーーーーッ!(ドグシャアァ)

母なる『大地』を‥‥平和な『大地』をッ!!
『讃え』よ!『褒め』よッ!『土』!褒めずにはいられないッ!
『讃え』よ!『土』をォォーーーーッ!

┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨

母なる大地を AH────────

 母 な る 大 地 を  AH────────!!

(バァ――――z____ン)


 思わず関係ないコピペを貼ってしまうくらい、このゲームでは土が大切だ。
 魔物は養分の含まれる土を崩すと生まれる。
 そして死んだ/殺された魔物は、養分を周りの土に還す。
 死んだ勇者も養分になる。

 あまりダンジョンを広々と掘ると養分の受け皿がなくなるし、かといって掘らないと魔物が出せない。
 勇者や魔物には動きにそれなりにクセがあるので、どんな形にダンジョンを掘るかで、最終的にできる魔王軍の戦力が変わってくる。
 最適解はほとんど無いので試行錯誤の連続だ。

 そして驚くべきことに、ステージは6~8ステージ×3エリアしかない。
 1-1から3-8まで、侵入してくるパーティを退ければ終了なのだ。
 低価格ソフトにせよ、すごいボリュームの少なさ……に見えた。

 が、数々の試行錯誤と運がないと、8ステージを抜くのは難しい。
 ゲームオーバーが日常茶飯事である。
 個人的な感覚としては、テーブルマウンテンが3つあるような感じだ。

 シナリオ中に魔王の繰り出す激しいメタ発言と、ゲーム内のほぼすべての固有名詞に仕込まれたパロネタが、この厳しいゲームを「ユルさ」でコーティングしている。
 とくにパロネタは徹底しており、一作目の最初からすでに「STAGE1 ぼくに このてを よごせというのか」であるのでけしからん。各方面に謝っておいた方がいいレベル。


 もし興味を持ってくれたPSP使いがいたら、無料体験版がけっこー遊べるので、ダウンロードしてみてほしい。
 なんでわざわざこんな日記を書いたかというと、いつか出会ったときに協力対戦モードをやってみたいからなのだ。